幽霊人間の殺伐

 年末年始休みの明けた図書館で借りてきた小池壮彦真夜中の手紙』、蜂巣敦殺人現場を歩く』、保坂和志明け方の猫』のうち『真夜中の手紙』を今読んでいる。ゆうべなかなか体の芯までぬくまらない長風呂の友にこの本を持ち込んでいて気づいたのだけど、小池壮彦には意外にもハーシェル・ゴードン・ルイスに作風がそっくりな瞬間がある! のだ。どこがかっていうと小池氏の怪奇探偵的な書きものではなく、実話怪談によく登場する幽霊だか人間だか判断つきかねるような人物が、H・G・ルイスの映画の登場人物たちとその牧歌的なサイコといった風情がそっくりで、この本のすでに読んだページでいうと「蔦の絡まる家」のマンションの空室に住む女。幽霊か人間か要領を得ない感じの妙な人物を、どちらかというこれは生きた人間だろうなあと読者に思わせる書き方をしつつ強引に怪談の枠に入れて語ってしまう感触が、ルイスの血糊の明るくのどかな間の抜け方と、その抜けた隙間から匂ってくる殺伐とした空気に通じるものがある。怪奇探偵系レポートとの差別化のためか小池氏の実話系の文章では情報があえて未整理のまま並べられるところがあり、解釈以前の状態で投げ出されたような、合理的にも非合理的にもひとつの物語としてまとまろうとしないそれら断片の投げ出し方もH・G・ルイス的な感触を伝えているように思う。怪談として焦点のあたった人物(亡霊?)だけでなく、まわりの人間たちも何かあてにならない胡散臭さやニセモノ感をただよわせているところとか。そういう胡散臭い証言を胡散臭さに手をつけないまま適当に書き留めただけであるかのような文章とか。