日記の書き方を忘れる

 小説を書かなければいけないのである。だから今は小説の書き方についてかつて自分で思いついた限りのことを思い出し、そして書いている間じゅう忘れないようにしないといけない。それ以外のたとえば日記の書き方などは忘れてもいい、というより積極的に忘れたほうがいいくらいなのである。日記の書き方には小説の書き方とかさなる部分もあるが、まったく重ならない部分もあり、重なる部分を書いているつもりがいつのまにか重ならない部分を書いていることもよくあるのだ。なまじ重なる部分があるだけに、うっかりすると自分が何を書いているのか分からなくなるのである。そのようにして小説の書き方はうっかり忘れられてゆくのである。
 とくに読んだ本の感想とか見たビデオの感想などは、日記らしい日記の文章の書き方、頭の使い方を私に強いやすい傾向がみられるので、なるべく避けて通りたい。この文章もちょっとまずい感じが今しているので何とか日記らしくなくしたいと思う。でも日記というのは小説とちがって何を書いても主人公も語り手もこの私ということで揺るがないので便利だし、気を抜いて書こうと思えばいくらでも書けるしそのことにあまり不安にならない。小説はだめだ、すぐ不安になって今書いたものをたちまち消してしまいたくなる。この不安な気持ちを支えるために物語が必要なのかもしれないが、おとといくらいに急に気づいたのだけど私は物語に全然興味がないのである。日記は物語のかわりに日付が支えているのでぐずぐずな文章でもある程度は崩れてしまわないのだ。ぐずぐすな文章を物語が支えるとすれば、物語は日付のように小説の外に目に見えて存在するわけではないし、たぶん作者が存在を信じることでしか支えにはならないのだろう。だが私がその存在を信じられるのは、すべて他人がつくった物語だけなのである。