という、はなし

という、はなし
吉田 篤弘文 / フジモト マサル


 酔っ払ったら延々と意味のない話だけし続けたいタイプの私です。
 こないだ新宿で朝まで酔っ払っていた帰り、電車の中でイラストレーターのフジモトマサルさんからもらった本。フジモトさんの絵に文章を付けている(文字通りそういう順番で書かれたらしい)吉田篤弘という人の名前は見たことがあるなあ。と思ったらクラフト・エヴィング商會の人だった。フジモトさんの絵は光の暗さや、闇の明るさが時間の止まったような物語をはらんでいる。この先に何かがあるというより、ここに何かが起きているという気配が満ちている。その一枚一枚から吉田さんが文字で物語を取り出している。
 光の暗さとか闇の明るさというと、たそがれ的な曖昧さを連想させるけどそうではない。くっきりしている。そもそも人間から見て動物というのはくっきりしているものだ(すべての絵に動物が描かれている)。寓話の登場人物に動物が多いのは、動物によって世界の輪郭をくっきりさせるためなのかもしれない。それは世界の果てを呼び出すひとつの手段だろうか。