50円

本日、平山夢明氏が読売の夕刊に大々的に特集されることをミクシィの平山コミュなどで知った。しかも50円だというのでこれは買うべきであると思った。傘を差して近所のコンビニを順番に回るが見つからず、家からどんどん遠ざかってゆく。Tシャツに半ズボンで来てしまったのですごく寒い。はやく見つからないかなあと思う。あきらめて帰ろうかとも思う。でも今さら帰るには惜しいところまで家から遠ざかってしまった。
そして6軒目に入ったあるコンビニで、店員が客に「朝刊しか置いてないんですよ」と答えてるのを偶然耳にした。盲点だった。夕刊がないかと訊ねたのであろう客は、年配の女性だったが、やはり平山大特集を捜し求めているのだろうか。そんな妄想にとらわれながら、たぶん確実に手に入るだろう駅のキオスクに向かった。そこには読売夕刊が一部だけ残っていた。抜き取った新聞を売り物のお菓子の上に置いて財布から五十円を取り出してると、ちょっと前にあわてて新聞を買っていったおばさんが引き返してきた。そして「あらごめんなさい間違えちゃった、こっちなのよ」とか言いながら毎日新聞をラックに戻し、私の読売を持っていこうとする。あっ、と私は思った。さっきは顔をよく見なかったが、コンビニで夕刊をさがしてたおばさんに違いない。読売夕刊に対するこのこだわりは、やはり平山大特集が目当てなのか? 唖然とする私とキオスクの店員の表情から、それがすでに私に買われた新聞であると気づいたおばさんは、「妹が出てるのよ」といってフラガールの広告ページを開いて見せた。なんだ平山特集じゃないのか。「ここだけコピーさせてもらえないかしら」とおばさんは甘えたような口調でいう。「ここだけでいいの。ほかはいらないの」「だからここだけ貰えないかしら」…いつのまにかコピーじゃなくなってる。そして私の読売新聞夕刊を手放そうとはしない。たぶん妹が新聞に載ったことで舞い上がり、どんな厚かましい手段に打って出ても、存在しない色香を駆使しても、本日の読売夕刊を手に入れなければすまない切迫した心理状態なのだろう。しかし私は相手が平山特集を求めてるのでないと分かったとたん不寛容な気分になり、しかし五十円の夕刊を巡って他人の厚かましさを糾弾する大人気なさに自己を投じる決心もつかず、どうしたものか迷っているとキオスクの店員のおばさんが機転を利かせ改札内のキオスクから読売夕刊をもってきてくれた。
こうして私は無事本日の読売夕刊を手に帰宅することができたのである。私は平山大特集を読む前に、まっさきにフラガールのページを開いた。そこには松雪泰子が演じたというフラダンスの先生のモデルになったという女性が、さっき私の夕刊を半ば強奪しながら姉が見せたのとそっくりな笑顔の写真で印刷されていた。平山大特集は予想以上に読み応えのある内容で(三ヶ月間ずっと口座に63円しかなく、子供の生命保険を担保に生活費を借りたとか)深く満足したことを最後に付け加えておきたい。