万博を片付ける

働かなくては生きていけない。働かなくても生きていていい国は(少なくとも私には)地球に存在しない。私は無職だが働かないわけではなく、瞬間的に職について瞬間的に給料を貰う。そして全体として長い目で見れば無職である、という状態を維持している。そのような目の錯覚を利用してしか、自分が働かなくては生きていけない側の人間だという現実から目をそむけて生きることができない。
そんな私がもし外国へ行ってバイトするなら、万博の撤去作業がいいなと思う。昨日ある場所で大阪万博のDVDを見ていたら、1970年の日本人は外国のパビリオンにいる無名の外国人コンパニオンからサインを貰ったり、閉会式では無名の外国人に無名の日本人が抱きついて涙を流すなどの取り乱しようだった。あんな興奮状態の祭の後の会場は、きっと恐ろしいほどの寂しさだったのだろう。その寂しさを我々はもう二度と経験することがない。だから1970年が永遠にもどってこない日本で今から万博の撤去をしてもだめだ。今が1970年であるような国でそれをしないと。その国の三波春夫の歌声が吸い込まれて消えた青空、珍奇な建物が取り壊され急に広くなってしまった空の下で、寂しさに何度も目の前が真っ暗になりながらガレキを運ぶのだ。


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