死に遅れ

われわれが具体的な作品のうえに見いだすのではなく、頭の中でじかに想像してしまう〈物語〉は、その完璧さのあまり死者の世界に属している。
だが、それが具体的に小説であったり映画であったりマンガであったりするかぎり、作品は〈物語〉を網羅することができないので、いわば“死に遅れる”ことによって生き延びており、生者の側にとどまっているのだ。
小説なら言葉という媒介物が、読者が直接〈物語〉に身を躍らせて死のうとするその足を引っぱり続ける。そこには作品というものの倫理があると思う。