ロコ!思うままに

十日以上前に引いた風邪の影響が微妙に残り続ける。鼻水の量が通常比二十倍くらいなのでティッシュの消費がやたら早いし、飲むのをやめて一週間以上たつ風邪薬の副作用でなった便秘も治らないまま。ヨーグルトとかバナナとかキムチとかパイナップル缶とか沢庵とか、経験的にどれかひとつくらいは当たりそうな弾を次々放つが全部ハズレる。そろそろ腰がだるくなってきそうでやばい。
大槻ケンヂ『ロコ!思うままに』読み中。けして描き切ることのできない世界、が物語以前に実在することを信じている、という意味で大槻氏は正しい物語作家だと思う。どんなに見事に伏線を張れたりオチが決まっても、それで何かが片付いたわけではなく、ただ物語がひとまず世界から取り残される場所がそこに定まったにすぎない、という諦観のようなものがつねに感じられる。それは筆から逃れ続ける世界を前にする喜びとセットになった諦観だ。
この場合の世界とは、大槻氏がかつて他人の作品で経験した世界のツギハギであることを隠されていない世界だが、大槻氏の物語はつねにそこから遅れ続けていることもまた隠さない。大槻ケンヂはたとえば江戸川乱歩に遅れることによって、江戸川乱歩を世界として見出す。周回遅れで追いついて自ら乱歩のふりをするよりも、あくまで遅れ続けることの喜びに殉じているところが大槻氏の正しさであり、魅力だと思う。江戸川乱歩はすでに取り返しのつかない過去なのであり、立派な墓石を建てることを競い合ったところで乱歩そのものとは何の関係もない。取り返しのつかない乱歩そのものへの遅れを、喜びとともに噛みしめることができるのが大槻氏の作品ではなかろうか。もちろん乱歩というのはひとつの例えなのだが。