線路のある世界

今年の春、神がかり的な発熱により18きっぷ伊勢の旅を断念したことは何度か日記に書いた。その旅の発案者でもあったライターの神田ぱんさんが著者の一人である『鉄子の部屋』という本が出ている。私の行けなかったその伊勢旅行のことも載っていた。鉄子というのは女性鉄道ファンのことだが、書いている人たちが女性なだけで内容は男女問わず、血中鉄道マニア分を自覚しはじめた初心者に敷居は低くたっぷり奥まで遊べる本と思う。


私はものすごく根気がなく飽きっぽく面倒くさがりで貧乏だから、あらゆるもののマニアになれない非マニア体質なのだが、その中で一番資質が近いと思うのは鉄道マニアだ。というか線路が好きなのだが、この場合の「好き」には不安とか怖いとかいう負の感情も含まれる。線路の夢は昔からよく見るけど、どれもそこはかとなく悪夢だった。廃線跡鉄道模型の走るジオラマにおぼえる胸騒ぎにも一抹の不安や恐怖の要素がある。だからこそ惹かれてやまない、というところで私にとって怪談とか幽霊の延長に鉄道もあるのだろう。ただ私は怪談好きであっても怪談マニアではないように、鉄道マニアではない素人の鉄道好きというか線路という空間好きなのだ。新幹線はこの世の新幹線以外の空間と線引きがしっかりしすぎてあまり胸騒げない。線路とふれたり交叉したり重なったりしたときに生じる線路外空間のゆがみ、が足りないのはいけない。つまり線路が外に漏れ、外が線路に漏れているのがいい。その極致にあるのが廃線なのだろう(線路と線路外が完全に重なった状態)。すべての線路は廃線という(私にとって)最高の状態にいたる途中にあり、廃線度のメーターは現役中もその瞬間瞬間で左右にゆれている。山手線やゆりかもめだって廃線になってる瞬間があるのが鉄道だ。われわれが鉄道だと思って眺めたり乗ったりしているものの半分は、そういう油断のならない幻のようなものなのだと思う。
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