ある偶然

読んだ本。
『嗤う日本の「ナショナリズム」』北田暁大
はれときどきぶた矢玉四郎
『月蝕書簡』寺山修司
『萌える日本文学』堀越英美
『はたらくカッパ』逆柱いみり
『〈子ども〉のための哲学』永井均
『事件巡礼 彼らの地獄 我らの砂漠』朝倉喬司中村うさぎ
『大葬儀』駕籠真太郎
『夢のなか―連続幼女殺害事件被告の告白』宮崎勤


宮崎の本は死刑執行を聞いたから読んでみたのではなく、読んでいる途中で執行のニュースを知った。一審判決のちょっと後くらいに出た本だと思うが、その後裁判はどうなってるんだっけ(というくらい無関心だったのだが)と気になってた矢先に処刑のニュースに触れた。
これは虫の知らせというほどのものではない。図書館の犯罪本の棚の前で何を借りるか迷う私の頭と、死刑囚のリストを前にどれで見せしめるかと迷う政治家の頭とに、同質のもっとも陳腐な(であるがゆえに足並みの揃い易い)連想が働いたというだけのことだろう。
二十年を隔てて起きた事件の、犯行時の年齢もほぼ同じ青年の死を二十年後にまた聞くのだとすれば、その時私は六十くらいだ。思うに国家はワカモノをくびるおぞましさ(たとえそれが最低のヒトデナシでも)を回避するために彼らがおっさんになるのを待つのではないか。おっさんをくびるのが一番心理的抵抗が少ないのではないかとおっさんの一人として思う。おっさんが更に老人になると、それはそれでまた手を付けにくくなりそうだが。