シンクロしなくなるだろう

最近読んだ本。
『ドアの向こうの秘密』三田村信行
『UFOとポストモダン木原善彦
『短歌の友人』穂村弘
小川未明童話集』小川未明
本格的な歌論も当たり前のように読み物として普遍的な面白さに仕上げる穂村弘の“ストーリーテラー”としての体力は、一方で批評家としての穂村弘の凄味も弱点も見えにくくしている、という面がある気がする。
とにかく圧倒的に面白くて、何度も思わずため息が出るほど鋭い。この鋭さを痛みとして引き受けて続きを自分で考えよう、と思うには、ここにある“ストーリーテリング”が(その魔法の外に出ると反動で世界がみすぼらしく見えるほど)魅力的すぎるという問題。






朝起きるとき、二段階で目ざめることが最近ふえた。たぶん昔はなかったことだと思う。
どういうことかというと、まずは眠って夢を見ている。
やがて夢が終了する。頭はそこで覚醒して、いままで見てた夢の内容を思い出したりなんかしてる。
しばらくして目をあけると、部屋の天井が視界に入ってくる。そこではじめて、今まで目をつぶってたことに気づくのである。


夢が終了した時点から、意識の状態としてはシームレスなので、すでに目はさめてるはずなのだ。
でも目をあけるとびっくりする。なんだ今まで見てたのはまぶただったのかって。
ようするに、目がさめるのと同時にはまぶたが開かなくなった、ということだと思う。
意識が先にめざめてて、体(まぶた)がそれより何分か遅れてひらくのだ。


これはあきらかに老化現象だろう。
たぶんこの意識→肉体の「遅れ」が、致命的な距離にひろがったとき、人は死ぬのだ。
意識による肉体の牽引(という実感)、をになってるゴム紐のようなものがのびすぎて、ち切れてしまうのである。
よく幽霊が「自分が死んだことに気づいてない」ものとして語られるのは、この実感の一種の比喩表現なんだと思う。