斜面を感じない

物語というのは斜面です。それは始まりから終りに向けて下り続けています。部分的に平坦だったり上り坂が含まれていたとしても、全体の下る力にそれは飲み込まれ、乗り越えられてしまうほどの例外にとどまります。
この斜面のうえに小説は書かれます。すべてのエンターテインメント文学と、ほとんどすべての純文学はこの斜面を必要としています。
斜面だと思って書き始めた場所がいつのまにか平坦になり、以後ふたたび斜面に戻らないことはよくあることです。それは書き始める場所をそもそも間違えたのか、起点は正しかったのだが途中で道を間違え斜面を見失ったのかいずれかです。
100枚の小説を書く前には、100枚分続いている斜面を見つけます。そして道を逸れることなく下り続けねばなりませんが、場所の選択さえ間違えていなければ、ただ下方へ下方へ自然と重力を体感するままに歩いていけば大きく逸れる心配はないはずなのです。
にもかかわらず、毎度毎度必ず途中で平坦な場所へ出てしまって唖然としなければ気がすまない書き手は、斜面で重力を感知するという人間として基本的な感覚に欠陥があるとしか考えられません。
これは小説の技術云々以前の問題で、いわば生来の致命的な障害であり、普通の意味での小説を書くことはほとんど絶望的な書き手といえるかもしれません。
こういう書き手がそれでもどうしても小説を書くというのなら、重力への不感症が音を上げるほどの物凄い斜面の発見に賭けるというのがひとつの手かもしれません。
ほとんど立っているのも困難な、ぎりぎり落下しない斜面を発見して足が勝手に下ってゆく、しかし奇跡のように滑落はしないという状態が実現されないかぎりこの書き手は物語の斜面と永久にすれ違い続けるのではないでしょうか。


(以上、文中の「書き手」には「わたし」とルビを振ってお読みください。)



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