「生首情痴事件」

 さっそく見た。いい。自殺に見せかけて殺した妻の、なぜか首だけが行方不明なことを気にした主人公の精神状態がだんだんおかしくなって幽霊を見る(という合理的解釈もできる)怪談なのだが、警察でその事実(生首が行方不明)を知った直後の主人公が、事件の共謀者でもある愛人の女に会う。で、二人のちょっとした会話のやりとりの食い違いによって、主人公の狂気(あるいは心霊の目に見えない介入?)の萌芽をさりげなく、しかし決定的に示すこのシーンはとくに素晴らしい。
「首が行方不明」なことを主人公は、まだ女には言ってないはずなのに、なぜか女は知っている。問いただすと、怪訝な顔で「今あなたが言ったじゃないの」という。だがそんなはずはないのだ。何しろ映画を見ているこの私だって、そんなセリフを主人公が喋るところを聞いてはいないのだから。じゃあなぜ女は知っていたのか? 映画には存在しないはずのセリフをこの女だけが聞いてしまったのか?
 映画にお化けが出るというのはこういうことなのかもしれない。ここにはまぎれもなく何かが出ている。恐ろしい亡霊の映像としてではなく、ささいな会話のやりとりの中に確実に何かが紛れ込んでいる。思いだすとすごく変な気分になるシーンで、なんともいやな感触があって、主人公と、愛人の女と、映画を見てる私、この三人のうち少なくともだれかひとりはぜったい頭が狂っているとでも考えなければ、このシーンの奇妙さは説明がつかない。そういう重要なシーンなのである。
 やけどで包帯ぐるぐる巻きの女を切りつけると、包帯がぱっくり裂けて大やけどの顔がどろんと見えるところもよかった。乳首はかくすけど火傷は見せつける映画だった。1968年大蔵映画。