爆弾なのか(短歌日記)

 穂村弘『短歌という爆弾』は、短歌が誰にでもつくれるという身も蓋もない事実をあざやかに暴露しながら、誰もが短歌をつくれるようになってしまう世界、に対する悪意ある表情を欠くという点で罪深い本である。こんなみごとなマニュアルが書けてしまう才能は、本来それだけでじゅうぶん罪なのであるから、この罪深い才能の正しい使い道はマニュアルのパロディを書くこと以外にはない。マニュアルが通用してしまう世界に対するひややかな悪意の表明によって、世界を自ら手掛けたマニュアルもろとも粉砕することだけがこの才能の善なる使い道なのである。
 それができる才能の持ち主はおそらく穂村氏しかいなく、にも関わらず、マニュアルとしての自爆一歩手前まで迫りながらあっさり安全な場所へ引き返してきてしまうこの本の態度は、究極の反動であるとさえいえるかもしれない。
 この本がなかったら私はぜったい短歌をつくれていないのであるが、それとこれとは話が別なのだった。

逆立ちの足首支えながらみる春のセスナの撒くソノシート  穂村弘