実力について

  • アッシャー家

ブックオフでビデオを買う。聞いたことはあったり聞いたこともないようなホラー映画や女族物がやけに充実したその日の棚だった。迷った末『アッシャー家の惨劇』(ロジャー・コーマン)と『チンピラ』(青山真治)を買った。『アッシャー家の惨劇(or崩壊)』って原作をくわしくおぼえてるわけじゃないけど(すごく短い話なので映画はかなり脚色されていたはずだが)、なんだか変な話だよなあとあらためて思った。けっこう複雑というか短篇にしては焦点のはっきりしない話じゃなかろうか。原作者ポーのオブセッションである「早すぎた埋葬」テーマもしっかり盛り込まれ……てたんだっけか原作でも。ということさえさだかではない記憶だが。

  • 小説の実力

本も買った。コンビニ売りの中公コミック『ゲゲゲの鬼太郎』から「陰摩羅鬼」と「血戦小笠原」。桐野夏生『錆びる心』。桐野夏生は図書館で借りた新潮1月号掲載「東京島」がすごくよかったので。ぐいぐい引き込まれる筆力。『錆びる心』所収の「虫卵の配列」を読んで、意外な結末というのは意外性のあるアイデアの投入ということではなく、どんなありふれた結末でさえ意外に見せてしまうような言葉の配置によってつくられるのだと思う。読んでいて何度か頭をかすめた(誰でも想像がつくと思われる)可能性が結末で前景化してくるのだけど、にもかかわらず初めて目にした結末としての生々しい驚きが損なわれないのはどういうわけか。「物語」や「現実」においてはありふれているともいえるその結末を、あくまで小説としての具体的な言葉がさりげなく否認しつづけ、読者を「物語」や「現実」から遠ざけつづけてみせる小説の実力こそが体感されなければならない。

  • 恐怖の実力

こちらは新刊で『「超」怖い話Δ』(平山夢明編著)と『つきあってはいけない』(平山夢明)。平山氏の怪談のすごさは卓越した比喩の力も大きいが、些末な変な細部をさりげなく一話の片隅にまぎれこませる筆力(ふつうなら怪談として再構成する過程でこぼれ落ちてしまったり、あえてまとまりのつかない断片として放置することで生かされるような細部が、掌編としての結構をしっかり備えた一篇の中に紛れ込まされている凄さ)や、一行に異様な密度に情報を圧縮したバロウズ的な文章がさりげなく書き込まれている点など、いっけん見過ごされがちな部分の実力にも支えられている。話の異常なおもしろさは技術の異常さに支えられていることを忘れていても読者はべつに不自由なく平山怪談を楽しめるのではあるが。

  • 凶暴な放浪者

文藝夏号に載っていた中原昌也「凶暴な放浪者」は中原氏の初期短篇にみられた要素がより小説的なかたちで語り直されているという印象があり、どちらかというと映画についての文章などにより多く感じられた小説的なドライブ感がいよいよ小説にも本格的にもたらされたことを思わせる佳篇。エッセイにくりかえし書かれているような生活の愚痴などが何百ページもつづくような長篇がぜひいつか読みたいと思った。
同号より柴崎友香「やさしさ」。同じ道を三度通る話である。二回は徒歩で、もう一回はバスで。同じ景色の道をちがう方向や時間や手段でたどりなおすことで物語がすりきれて下から浮かび出てくるものが小説なのだと思った。シンプルに小説の原理を示している作品。