幽霊からストーカーへ

このところすごい勢いで出てる「超」怖い話シリーズ
最新刊を読んでいます。(『「超」怖い話Ε』竹書房文庫)


シリーズの現在の編著者、
平山夢明氏には「東京伝説」という別シリーズの著作もあって
そちらは幽霊とか超自然ものではなく
ストーカーとかおつむの狂った人とか
生身の人間がおそろしい系実話掌編集です。


世の中の趨勢としましては
多少のゆりもどしはあるにせよ
おおまかにいって恐怖の対象は「幽霊からストーカーへ」
という方向にずっと流れていってるというか
いいかえれば幽霊が特権的な恐怖の対象ではなくなり
生身の人間の怖さというものが
「やっぱりいちばん怖いのは人間だネ」
といった常套句をこえたところで
実感として定着していっているというか。


わたしの持説のひとつとしまして
「幽霊の何割かはその後ストーカーになった」
というのがあります。


つまりですね、
単に人々の怖がる対象が幽霊よりストーカーなど
狂った人間のほうに移ったというだけじゃなく
じっさいかつて幽霊として認識されてたのと同じ体験が
今ではストーカーとして認識されてるのではなかろうか
という説です。


たとえば夜中に目がさめて
枕元に見知らぬ人間が立っていたとします。
昔ならそれはまず「強盗」か「強姦魔」でしょう。
もしどちらでもないことが確認された場合
つまり脅しも触りも物盗りもせず
そのまますーっと部屋を出ていってしまった場合
「あれは幽霊じゃないか?」
という可能性が浮上してきたと思うのです。


ほかにも
留守中や就寝中に部屋のものの位置がかわってるとか
壁に手形がついてるとか
風呂場に長い髪の毛がちらばってるとか
ふと窓の外を見ると
ここは三階なのに人の顔が覗いてるとか
真夜中に家の壁がドカドカ叩かれるとか
天井裏を誰かが這いずってるとか
あるいは外出すると
行く先々で同じ人が遠くにぼーっと立ってこちらを見てるとか


そういう特殊な経験が、
物盗りや強姦や借金取りや知人によるいやがらせとか
既知の目的と結び付けて考えられない場合
昔なら「幽霊」のしわざになったのだろうと思うんです。


ご存知のように
今ではそんなこと(目的も意味もわからない異常な働きかけ)は
生身の人間がごく普通にやることだ
ということが知れ渡っています。
かつては「人間がやるはずのないこと」
イコール「幽霊のしわざ」と判断されてたことが
「人間」の面積がむかしよりも広がってしまったために
今では人間の行為として納得されている。
人間の行為として怖がられている。
そういうことではないのか。


いいかえれば人間が「あの世」の側にはみ出していったわけです。