幽霊と部品

幽霊が姿をあらわすとき、その材料になるのは
われわれが外界から受け取るさまざまな情報刺激のうち
認識の枠からこぼれ落ちて余ったものたちです。


われわれが五感を通じて入手したさまざまな情報を
パズルのように組み立てて世界を自分の中で再構成するに当たり
どこにも置くべき場所をみつけられず
余らせてしまうピースが必ず存在します。
われわれの認識の枠は世界(から受け取った情報)のすべてを
正確に世界として再構成することができないからです。


(それはわれわれ自身もまた世界の一部であることと
関係あるかもしれないが、ここでは深く追究しない。)


まるで分解した時計を組み立てなおした時
なぜか必ず部品が余ってしまうのと同じように
われわれはいつも世界の「えたいのしれない部品」を持て余し
認識の枠からこぼれ落としながら生きているということです。


そうしたいわば情報のノイズが
単に無意味なだけのものとして無視されるのではなく
時に意味ありげなかたちをとりはじめて見えることがあります。
余らせた部品どうしが結びついて得体の知れない
しかしどこか見知ったものに似たかたちをとりはじめたとき
われわれはそいつのために
(仮の)認識の枠を用意することがある。


それが「幽霊」なのです。


幽霊が
「姿は見えるけれどさわれない」
「声はするけど姿は見えない」
「姿が見えないけど触れてくる」
など、われわれの五感のどれかへの刺激を
欠落させてあらわれることが多いのは
それがもともと、余った部品だけを組み立ててつくりだされた
不完全な、不正確な存在だからです。