みじかさ

短さと怖さのあいだに浅からぬ関わりがあることはよく知られている。いわゆるホラー作品において、長編より短編のほうが怖いとか、商業映画より素人の撮影した心霊ビデオ(もしくはそれを偽装した作品)が恐ろしい、といった経験的な知識がそう思わせるのだが、つまり小説や映画を長く引き伸ばし、その長さを支えるために必要な要素を導入し、さらに商業的にかたちを整える過程で逆に失われるもののうちに、われわれが真に恐怖する何かが含まれているらしい。
その何かとは「無意味」であるというのが私の意見です。
短さは無意味を許す。しかし短さによって許されていることに得意げな無意味、という物もこの世には存在している。短さをあらかじめあてにして、程よく無意味であろうとする言葉や映像。それらはしかし、われわれに意味の世界の居心地と同じものしか与えないだろう。単に公園のようなものであり、意味の世界にいながらにして遊ぶのに丁度いい無意味、にすぎないのだ。
そうではなく、自らの無意味さを受け入れ難く感じ、意味への手がかりを求めて神経を張り詰めさせているような言葉や映像が、しかしその短さによる不意の切断によって望みを絶たれているような例が一方にはあるわけです。短さが怖さに結びつくのはそういうときだと思う。
短さが作品自身への一種の暴力である場合にだけ露呈する恐ろしい無意味。あらゆる無意味はいずれ意味に到着するという、われわれの楽観あるいは諦めに冷水を浴びせるように目の前で突然絶たれる道路。短さはときにそのようなものを実現する。




二月六日に発売される『てのひら怪談』という本に、私の書いた話も三篇載ります。
その三篇が「目の前で突然絶たれる道路」たりえているかは心もとないですが、大量にあった応募作の中で、受賞作として脚光を浴びなかった作品にも「目の前で突然絶たれる道路」がたしかに存在していたことを私ははっきり覚えています。
収録される百篇のどこかにきっとあるはずなので、このたびの単行本化が、あの道に迷い込んで呆然とする人を増やす機会になるといいな、と思います。


てのひら怪談加門七海・福沢徹三・東雅夫
オンライン書店ビーケーワン:てのひら怪談


関連リンク
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