変な掌編小説

掌編小説は見開き二ページ以内に収まることもよくあって、すると小説全体がひと目で見渡せるような気がするけど、本当はそんなことはない。
印刷された文字の全体は見渡せても、それでは小説ということにはならず、冒頭から順番に文字を文章として読んでいかないと小説にはならないからだ。
だからどんなに短い小説もひと目で全体を見渡すことはできない。
見わたせるのは文字であり、小説という全体は小説を構成する文字の総和と等しくないからである。


図書館で借りた『東欧怪談集』(沼野充義編/河出文庫)を読んでると変な掌編小説ばかり載っていて嬉しくなり、読み終わる前にまたほかの変な掌編の本(と思われる本)を借りてきた。『東欧怪談集』にも載っているスワヴォーミル・ムロージェクの『鰐の涙』。あとリディア・デイヴィスの『ほとんど記憶のない女』。私は変な掌編小説が好きなのだが、変な掌編小説を書く作家は日本に殆んどいないし、翻訳も少ないからあまり急いで読むと読むものがなくなってしまう。だからあまり気づかないように、たまたま目に入ったものだけをちびちび読めたらいいと思う。