自己ベスト

自己評価と、他者による評価はつねに食いちがい続けるものだろう。
これまで私の書いた八百字小説で自己評価が一番高いのは、今年の怪談大賞に出した中の一本「私の未来」である。私は怪談に、そこに何も書かれていないものの重量を静かにつたえる語りの軋み、みたいなことを読者として求める傾向があると思うのだが、そういうタイプの書き方として自分ではかなりうまくいった気がして満足している。わけのわからないビジョンにうまく“取り憑かれ”ることができたという感じ。私は取材をしないので(ことに怪談の場合)かわりに“取り憑かれ”ることで、頭で思いつかないわけのわからない者に作品を通り抜けてもらう必要がある。「私の未来」とくらべると、たとえば「歌舞伎」も「客」も「百合」もずっと自分の手の中に収まっているという感触がある。
自己評価の二番は『てのひら怪談』の一冊目に掲載された「浄霊中」。三番は『幽』に掲載された「旅館」。いずれも発想の段階もしくは書いている途中で「自分の手を離れた」と思えた作品であり、書き終えたあとで手を離れるのは当然のこととして、より早い段階で手離れしたものは自分もそこから先は読者になれるので、書くことはそのまだ書かれていない読んだものをなぞる、報告するという性質を帯び、それはどこか重苦しくもあるが軽い興奮もある。長い小説でそういう経験(自分の手の中にないものへの奉仕)をするのはいやだが(だから長いものが書けないのだろうが)、短い小説はできるだけ早く書く自由を手放せたときに満足の高いものが書けるという気がする。その満足はあくまで私自身のものであって、私は本当は読者ではなく、小説はどんなに人に読まれないものでもあくまで読者のものである、というのは前提としての話だが。