金がないから読書

最近一日一食にずっとしてて、たまに二食たべるけど、たいていは一食。お蔭で今月の家賃はなんとか払えそうだし、胃も慣れたのか空腹もあまり感じなくなってて、とくに苦痛でもないんですよね。でも今日図書館行ったら静かな館内でお腹グーグー鳴りまくって困りました。家にいるとべつに鳴らないんだけど、周囲に人がいたから必死にアピールしてたんでしょう。助けてくれって。でも家帰ったらあきらめたみたいでずっと大人しくしてて、かわいいもんです。


字の小さい本はページがサクサクめくれないから好きじゃない。本ってページがめくれて景色(紙に字が印刷されてるだけだけど)が更新されるのがいいんで、そのうえ私本読むの遅いから、びっしり文字組まれてると「ああ、ページから出らんない」と思って挫折するのですね。
そういう方面から見るとありがたいまでに字の大きかった渡辺浩弐『2999年のゲーム・キッズ』を読み、この人の本何冊か読んだけどこんなスカスカだったっけ? と思いました。文字組みのことじゃなく、内容ですね。なにかアイデア節約してるっぽいなあと思って、最後の章で急に密度が上がったので「やはり節約してたか」と納得。アイデア密度みたいなもので読ませる作家だと思うから、どっか判断間違えたのか。後に完全版というのも出してるみたいなので、やはり不本意な出来だったのかもしれない。
坂野信彦『七五調の謎をとく―日本語リズム原論』。これは短歌に関係ある本なんで短歌のブログのほうに書いときます。
http://blog.goo.ne.jp/ggippss/e/4c4433f2325c7911cec773b7b39d8cc6
あと角川文庫の水木しげるコレクションで『鬼太郎の地獄めぐり』を読みました。鬼太郎の世界っていうのは日本(ときには外国も)の妖怪伝承なんかがバックにあって、そこに作家のつくった鬼太郎の世界設定があり、さらに話ごとのその場で思いついたみたいな設定があって、それが全然強固に組み合わさってない。ぐらぐらしてるんだけどなぜか崩れないというか、崩れてもどうってことないというか。それはひとつは絵の力だし、キャラクターの力なんでしょうね。絵とキャラクター、そして作家性という三角形の中でたぶんどれが責任とるというのがない、一種の無責任な無重力みたいなものが発生してる感じがします。それは三つのどれかひとつ強度が足りなくても無理なことで、バランスが悪くなり、どこかに負担がかかるわけですね。そうなると無重力ではなくなっちゃう。