借家と私

 仕事にありつけたので、今月の家賃がどうにか払えそうです。私の部屋の西側の壁の喉の高さにコインと紙幣の投入口があって、家賃はそこから毎月納めています。先月は支払いが遅れたため一晩で書棚から古本屋に高く売れそうな本ばかり抜け目なく全部持っていかれました。
 この家のどこから家主が(実際にはその雇い人が)自由に出入りできるのか私には知らされていません。すべてのドアと窓に施錠したところでそれは、奇術師が美女を閉じ込める箱にするのと同じ見せ掛けの意味しかないのです。通例と違い、この場合箱抜けは外から内に向けて行われ、一杯食わされる観客である私のほうが、客席ではなくニセの密室に閉じ込められているのですが。
 私の就いた仕事は私のかわりに炭坑で働くというもの。給料は私から貰えます。

包帯寿司

 しゃりをつつむ包帯はいつも赤く滲んでいる。

不敬者の最敬礼

 皇居前少年が両手を線路につくほど垂らして山手線をめぐる指紋がレールに転写するほどにひきずる。けれど山手線一周にわたるレールの長さへひきのばされて、しかも幾度となく上書きされただろう指紋はもはや指紋として誰も読み取れないので、もしそれが指紋なら東京は掌のうえに易々とおさまる懐中時計なのだ。そのとき皇居前に居残る少年は自らが文字盤の文字のひとつであることに深く目覚めている。通過する長針に撫でられた首が足もとにころがるあいだ敬礼のポーズ崩さぬための修練、両手は白線につくほど垂らして首都高を戦車と歩くのだ、ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。

夜の世界

 ぬいぐるみショーのクマのぬいぐるみの背中のチャックが入口だった。

まばたく

 網戸になっている窓のほうから羽音がしている。ぼくは何の疑いもなくそれが昆虫の羽音だと思う。だが窓のあたりはうす暗くて外はほとんど見えないから何も確かめたわけじゃない。夜に部屋の明かりにつられて来る羽音をさせるもの、が昆虫だというのは本当に信じていいことだろうか。それは昆虫を両目にもつ今夜の客のまばたきかもしれない。