2003-09-01から1ヶ月間の記事一覧

短歌と小説について、すばやく考える

短歌と小説は当然のことながら長さが大きくちがうのだが、長さの違いとも大きくかかわる性質として短歌は空間的、そして小説は時間的であるという違いがある。短歌につかわれているそれぞれの言葉は一首の中のどんな位置に置かれているかその短さゆえに一目…

短歌日記(短歌に物語は必要なのだ)

物語を喚起する短歌が好きである。そういう短歌にしかほとんど興味がないといってもいい。連作で物語をなしている短歌ではなく、また作者の人生という物語を背景に味わう短歌でもない。一首がそれだけで、単独で、読み手を物語に引きずり込むような短歌。ち…

死角が必要なのだ

我々はひとりひとりみんなちがうのだし、みんなちがうということが救いなのだ。 わたしは、わたしと何もかも同じ人間などほかにひとりもいないということを思うと、ほっと胸をなでおろしてしまう。だって、もしそんなやつが自分以外にいるのだとすれば、わた…

短歌日記

短歌をつくることはラジオのチューニングをするとかカメラのピントを合わせるとかそういうのに近い。短歌のフレーム(それは自分の中にあるのだが)を最初はおおざっぱにふりまわして、そこに入り込んでくるさまざまのものを眺めている。 そのうち、何か面白…

短歌日記

短歌には定型というフレームがあり、いわば部分に先立って全体が存在している。 にもかかわらず、そのフレームはたとえば写真のフレームのように、誰の目にもあきらかに存在しているものではない。短歌のフレームはその存在を信じる者にしか見えない。 だか…

短歌日記

短歌もエンターテインメントである。歴史的な文脈や、同時代的な現状をほとんど無視(というより無知を放置)して言うのだが、短歌という形式が目の前にあって、これをいったい何に使えるかなあと考えた場合思い浮かぶのは「エンターテインメント」だという…

短歌日記

わたしはいわゆる文語で短歌をつくる気は全然(というほどではないが、基本的に)ないけど、文語短歌については多少は知っておいたほうがいいかもしれないなあ、とも思う。それは口語で短歌をつくることが、文語とくらべて自由で簡単だと勘違いしないためで…

短歌日記

オイスター・ソースの壜をラッパ飲みしているぼくに花束贈呈 自作の供養。出来不出来はいちおうおいといて、すごーーくきらいな短歌をうっかり自分でつくってしまうようなことは時々あるので、うっかりどこかに化けてでてしまう前にあらかじめこうやって供養…

短歌日記

そんな久作の「猟奇歌」のなかから一首。 真鍮製の向日葵の花を 庭に植ゑた 彼の太陽を停止させる為 夢野久作 何か引用しようと思って『夢野久作全集 3』(ちくま文庫)をめくっていて見つけた。久作らしいやりかたで狂気が表現されていると思う。 もう一首…

小説ノート

夢野久作「押絵の奇蹟」 私が読んでおぼえているものでは「瓶詰地獄」「ドグラ・マグラ」もそうだったけど、夢野久作が〈兄妹の恋愛〉をくり返し書いた作家だということに、これを読んでやっと気がついた。生涯のテーマというかオブセッションというか、そう…

短歌日記(火星短歌)

このたび火星大接近を気にしながらつくった何首か、より以前にも、火星のことは何度か短歌にしていたような気がしたので、ひろってみた。すると「火星」という語がつかわれている自作は(大接近モノをふくめて)ぜんぶで四つありました。いずれも自分ではけ…