2004-04-01から1ヶ月間の記事一覧

ここんところ論理的な文章がまるで書けなくなっていて困った。脳のどこかに何かやばいことが起きてるんじゃないかと疑うほど全然書けないので日記の更新もきわめて困難なのである。つまり私は日記に論理的な文章を書かなければという思い込みがあるのである…

キレイ 神様と待ち合わせした女

さいきん(一、二ヶ月くらい)テレビをなるべく見ないようにしている。今読んでる宮沢章夫の本(『考える水、その他の石』)にテレビの「面白さ」を「つい見てしまう程度の『面白さ』」と書いてあったが、テレビをなるべく見ないようにしていると、この積極…

目も鼻もない世界

のっぺらぼうが恐ろしいのは顔がないからである。 では顔がないものはすべて恐ろしいのか? たとえば扇風機には顔がないし、テーブルにもバスタオルにも長靴にも、一升瓶にも犬小屋にも顔はない。これらはすべてのっぺらぼうと同じように恐ろしいのだろうか?…

短歌日記

題詠マラソン2004 、4/20までの投稿分。()内はお題。 やや低くとどまる月に鳥肌が浮いて再入力のパスワード (031:肌) 百つぶの眠り薬のねむたさでバナナ・ボートが眉毛をはこぶ (032:薬) ひさしぶりの真夜中だから握手する半分砂にほどけた腕と (033:…

ウルトラQと押切

ゆうべ放映の「ウルトラQ〜dark fanyasy〜」(第3話「あなた誰ですか?」金子修介監督)はとてもよかった。前二回はよかったというより「いいところもあった」くらいの微妙な言い方にとどめたい感じだったけれど、これは本気でいいと思った。ディックっぽ…

短歌日記

何かが決定的にまちがっているような気は、つねにしている。短歌をつくるというより一見短歌のようではあるもの、それも短歌のふりをして短歌にいやらしく媚びているものをつくっているという気はするのだが、では、これぞ短歌そのものだという堂々たるりっ…

4/3のつづき

いや、こう考えるべきか。いかりや・馬場の両氏にはたしかに身体的な印象に似たものはあったし、その肉体が1960年代から数十年にわたってブラウン管に映し出されていたことも共通する。だがそれだけでなく、かれらの肉体が活躍の場を与えられていたテレビ番…

短歌日記

オムレツに包んだものの詳細を書いた手紙が届く食後に

短歌はたった31音で終りの来てしまう詩型であるために死や終わりや破滅を語るのに向いている。死や終わりや破滅をその詩型においてまざまざと見せつけることができるから。

ドリフについてのメモ

ドリフの「全員集合」のいかがわしさと暗さを見落としてはいけないということ。いわゆる人情に満たされることもなければナンセンスの強度に支えられることもなかったドリフのTV喜劇の、あのよるべない寂しさの漂う殺伐とした薄暗い(という印象があった)…

いかりやと馬場

いかりや長介氏の死は私にとってジャイアント馬場氏の死とどこか似た印象のものだった。それが人間の世界の出来事ではないような死、けれど死んだことで実は彼らもまた人間であったことを認めざるを得ないような、そういう唖然とさせられる死が私にとっての…