短歌
夕焼けのたけやぶやけた焼跡のあんなところに四階がある 水族館だった建物 あらそって二階をめざすけむりのように ともだちの友達だった頃駅で回送電車越しにおじぎする
寝ているの?エスカレーター右側をどこまでもくだるけれど夜だね
すべての短歌は「恥ずかしい」ということについて以前ここに書いた。小説や詩や俳句とともに近代文学のジャンルのひとつである短歌が「恥ずかしい」のは、近代人の自意識が「恥ずかしい」からじゃなかろうか。小説はこの恥ずかしさを燃料として動いてるけど…
秋だから日なたをあるく友達とそのともだちの手はつながれて
なつやすみしか終らないそれ以外すべてはつづく夜が明けても
短歌の定型は不自由で貧しいものだという考えがまず前提にある。今どき57577の制限を受け入れるのになんの抵抗もおぼえない感性を私は信用する気になれない。57577に違和感をおぼえない日本語の使い手だけが短歌に近づけるなら、短歌は現在的な感…
飼い犬におしえた芸をきみもする いくつものいくつもの墓石
働かないぼくらのために百円で売ってブック・オフすべての本を
「盆栽をありがとう」って書かれてた差出人に見覚えがない
『短歌があるじゃないか』穂村弘・東直子・沢田康彦 同じ著者たちによる『短歌はプロに訊け!』の続編。このシリーズが面白いのは、プロが「素人」の短歌作品を評するにあたって(こうした企画の定石である)添削はほとんど行われず、批評よりもまず鑑賞の態…
おとといの日付で「(短歌の)いわゆる愛唱性と再読性はおそらく厳密には矛盾する」なんてことを書いたのだが、よく考えたら愛唱性とは再読性を含んだものじゃないか、という気がしてきた。あの文章では読者による歌の「反芻」と同じ意味のつもりで「愛唱」…
ホテルにはひかりあふれてその島をやつらが狙う目印になる
以前から謎だったのは枡野浩一の短歌を「読む」ことのむずかしさである。読んでもおもしろいとは感じられないが、積極的に嫌うようなアクの強さも感じない。たとえば片岡鶴太郎の絵を見るとムカムカくるが、枡野浩一の歌を読んでもとくに腹が立つわけではな…
歩かれる右手を蟻にテレビでは行方不明者ばかりをさがす
自転車をひきずる森でかなたより今うでの毛のそよぐ爆発
かたかたと最初にもどる 目をあけておはようと言う 知らない声だ
●本のページを1文字分、三十一ページ下までくりぬいて引きずり出したあとに残った穴ぼこ。 ●草で森を、石ころで山を、マッチ箱で町を表現した箱庭(人間は人形?一本の釘?)。 ●たとえばおまわりさんを「制帽」と「警棒」と「ピストル」であらわしたもの(…
目の前がくらくなるほど正確に寝息をたてるあなたが部屋に
燃えている苺たくさんほおばって火事になるとき私はきれい
わたし、踊る。わたし、配る。わたし、これからすべての質問にいいえで答える。 斉藤斎藤 斉藤斎藤第一歌集を読む。 まとまりのつかない感想メモをだらだらと箇条書きにしてみた。このなかには今後斉藤斎藤論のキモとして発展させていく部分もあれば途中で捨…
日本国民ならば誰でもご存じのようにあらゆる短歌(57577)はわれらが国歌「君が代」(名曲だよネ!)のメロディで荘厳に歌いあげることができるのだが、それは歌詞にたまたま短歌が採用されているからにすぎないなどと呑気にかまえてていい事態ではな…
あいつならここにいるよとピストルで自らのこめかみを示した
数日前短歌がらみでちょっと特殊な経験(私にとって)をしたせいで、いま頭のなかで短歌の細胞が膨らみすぎてほかを圧迫している。しばらく安静にして頭の中の短歌をなだめすかして熱をとって大人しくさせないといろいろまずい後遺症が出るかもしれない。 だ…
おいしそうだった動物ほんとうは食べられない動物だった 青空
足跡にみえたんだっけ点々と貝殻をたどるうちに真夜中
砂浜で風にころげる水玉のビニール・ボール きのうもあった
まだここが海と決まったわけじゃない 揺れているのは髪かもしれない
書くもののかわりにくれた板ガムに爪たててメモる十一桁を
きみがめざめているあいだ、きみのゆめは だれもみているひとがいないから どんなにひどいことがおきても(ひとがしんだり) だれにももんくはいえないし なにがおきたのか、しることさえできないのだ ゆめで * さわがしくリボンを飾る ドレスからつぎのドレ…
題詠マラソン2004 、6/19までの投稿分。()内はお題。 071:追 みえないもの目で追うつもり点線が白昼まちを這い回るんだ 072:海老 心臓で海老を茹でます親方 さあ親方 四股でもふみますか 073:廊 逃れないあなたになったおめでとう朝までつづく廊下おめでと…