2007-01-01から1年間の記事一覧

雨傘は雨の生徒

結石が再発して手痛い出費。坐薬が手放せない身に。 もうじき、たぶん土曜日あたり店頭に並ぶ「新潮」11月号は新人賞発表号です。私の応募した小説が今回、最終候補に残っておりました。受賞作の速報はもう出ているようなので、私が落選したということもそろ…

ドラえもんと土左衛門の響きの似ていることはよく言及され皆さんご承知の通りですが、ドラえもんというネーミングをこの世に送り出し固定する際に根拠というか土台として、土左衛門という既成の言葉が使用されたことは送り手や受け手の無意識内のできごとと…

妄想について

妄想を妄想だけで維持できるひとというのはあまり多くなく、たいていは現実の材料を組み立てたり借りてきたりして妄想はつくられ維持されるわけです。だから妄想するひとはそのひとなりに客観的なチェックをしているという自信もある。ところが他人の目によ…

できない回復

道路は土地と土地を結びあるいは隔てるために、どの土地にも所属しないが、それ自体もじつは土地である。 という道路のこの隠された〈土地性〉に注目し、それを回復するのが文学の役目だが、土地に戻されてしまった道路はもうかつてのように自由に歩くことが…

水ですから。

低いほう低いほうへと流れていくうちに、いつのまにこんな遠くまで来ていた、というのが私は理想だな。ていうかそれしか考えられないな。 どんなにわずかな低さも見逃さず、逆にあらゆる高さには目もくれず、ひたすら低きに流れ続けることで事後的に、すでに…

西荻怪談

本日更新のポプラビーチ、「週刊てのひら怪談」(西荻シリーズ)に私の書いた「ロープ」という話も載せていただいております。

ブルーな渦と階段と、その先に垂れる蠅取り紙なんまいも

夏はほっとくと暑いのでじたばたしがちですが、私はなるべくじっとしています。周囲との皮膚の摩擦を最小限に抑え、自分からよけいな熱が出ないように、部屋の空気と同化するようにつとめるのが私のこの正念場の乗り切り方ですから、おっと蝉が木から落ちた…

しかたない

今日(昨日)は炎天下の住宅地を八時間くらいぐるぐる歩き回りました。 すると喉が渇いたので、水分を三リットルくらい摂りました。 その結果足がむくみ、右手は腱鞘炎ぎみになっています。 毎年八月になると炎天下を歩き回ってばかりいますが、べつに好きで…

尻の穴の世界のダーウィン賞

小説すばる八月号、平山夢明「ダーウィンとべとなむの西瓜」読む。 主人公の相棒が突然始める「尻の穴の世界のダーウィン賞」の話が超無意味で素晴らしすぎる。 平山さんの超おもしろい即興トークが小説の中で突然始まったみたいでびっくりだ。 (参考・平山…

変な掌編小説

掌編小説は見開き二ページ以内に収まることもよくあって、すると小説全体がひと目で見渡せるような気がするけど、本当はそんなことはない。 印刷された文字の全体は見渡せても、それでは小説ということにはならず、冒頭から順番に文字を文章として読んでいか…

物語という担保

小説は物語を担保にした散文である。そこに物語がほとんどなくても(完全になくても、かどうかは「完全に物語がない状態」がどういうものか分からないので分からない)小説は成り立つが、物語という誰にも当たりのいいクッションを欠くことで小説は良くも悪…

低い部屋で読書

私は高いところに住んだことがない。 実家は二階建ての一軒家で、生まれてから二十五歳までそこに住んでいた。 次に引っ越したのは十階建てマンションの二階。 そこで二年暮らしたのち、二階建てアパートの一階に移り住んで十数年(現在に至る)。 二階以上…

叙事性についてのメモ

人間界のドラマは、真実などどこにもないという態度で事実の羅列として語られる。 そのことを仮りにドラマ的叙事性と呼ぶことにする。 真実は共同体によって保証されるもの(幻想されるもの)だが、現在われわれが接するドラマは特定の共同体の中でのみ流通…

今日発売の怪談専門誌『幽』vol.7に、私の書いたてのひら怪談「旅館」が載っていると思います。 今号もきっと凄いボリュームだと思いますが、その中のほんの八百字ではありますが、できるだけさまざまの人の頭のなかで、解けない知恵の輪みたいに、読んだあ…

とかげ 階段の下に知らぬまに彼が部屋を築いている。彼とは若い女である。女とはその国で無作法な物乞いを意味する動詞である。したがって今読まれている文章は、動詞が誤って名詞に訳された無残なものだが、描かれている彼にそれを知るてだてはない。部屋は…

幻想とストーカー

長野まゆみ『よろづ春夏冬中』読了。幻想を書く文章としてこの本は理想的だと思った。平易ですごく読みやすいんだけど的確にツボを押えるというか、あの世的なものへの分岐をちらつかせつつ、あくまでこっち側の道だけをぎりぎりで歩んでみせる。そのあたり…

『NHKにようこそ!』 滝本竜彦

非常におおざっぱにいうと、無条件に好感のもてるタイプの小説ということになる。その意味では私はこういうのが“景色”として好きなのであって、個別の作品としてどうこうという感想はあまりない。細心の注意を払って読む必要のない、きっと今ここを読みとば…

未読の山

私は読書量がとても少ないのでこの世にいかにも面白そうな未読の本が山ほどあるのだが、読書のストライク・ゾーンもまたおそろしく狭いためにそうした面白そうな本をたまに手に取ってめくってみたとしても、たいてい何かと理由を見つけてすぐに頁を閉じてし…

昨日や今日読み終えた本

『文學少女の友』千野帽子。 著者の前著のタイトルが『文藝ガーリッシュ』というので、何か読む前からどんな本か分かったような気分になり(今もそちらは未読)敬遠していた。 が、テレビブロスで豊崎由美氏による書評を読んだらタイトルや著者名(ちなみに…

バランスについて

われわれは何かを無償で讃えることを苦手としている。その何かを讃え持ち上げるための錘として、別な何かをかわりに傷つけ貶めずにいられないということがある。 もともとお世辞にも心根のきれいとは言えないわれわれが、奇特にも嫉妬の感情を抑えて他者に賛…

死に遅れ

われわれが具体的な作品のうえに見いだすのではなく、頭の中でじかに想像してしまう〈物語〉は、その完璧さのあまり死者の世界に属している。 だが、それが具体的に小説であったり映画であったりマンガであったりするかぎり、作品は〈物語〉を網羅することが…

ロコ!思うままに

十日以上前に引いた風邪の影響が微妙に残り続ける。鼻水の量が通常比二十倍くらいなのでティッシュの消費がやたら早いし、飲むのをやめて一週間以上たつ風邪薬の副作用でなった便秘も治らないまま。ヨーグルトとかバナナとかキムチとかパイナップル缶とか沢…

物語について

物語とはある種の見通しの悪さのことである。死角の存在を告げる遮蔽物がそこにあることを意識させる風景、が物語の風景である。そこが世界のすべてを見通せる場所でないことを暗示する何かが、つねに視界に入り込み続けているのが物語という状態である。遮…

歩行屍

首を刎ねられた日本人はこう歩く、という教育映画が水族館の暗さを利用して水中に投影される。切腹の誤った解釈が字幕で流れ、まばらな客の中の黄色い顔が屈辱に歪む。

マンガは映画と詩の間にあるのかもしれない

西荻怪談の参考になるかもという下心で借りてきた『西荻窪キネマ銀光座 』(角田光代・三好銀)という本は、西荻とはあまり関係がないような、しかし濃厚に西荻的なのかもしれないという本だったけど、この本で三好銀という人の描いてるマンガがものすごくい…

女神の順番

本日更新のポプラビーチ「週刊てのひら怪談」に拙作が掲載されています。 http://www.poplarbeech.com/kaidan/kaidan.html 我妻俊樹という名前で載っております。鳥のフンに降られたのは実話です。 でも鳥のフンは臭くなくて白い絵の具溶いた水みたいなので…

ご当地怪談

西荻てのひら怪談募集中。4月末日〆切り。 http://www.poplarbeech.com/kaidan/event/index.html 怪談につきもののネガティブな要素の取り扱い、をどうするかという問題がご当地怪談の場合はあると思うんですよ。そういうのをあんまり排除すると怪談として…

手の匂い

洗濯中なので手が洗剤くさい。というのは言葉の綾で、実際にはいい匂いがする。なので手の匂いを時々嗅ぎながらキーを打つ。と、打たれる文章が、確実に匂いの影響を受けていく。匂いについて書くわけではないが、匂いによって書かされる。書くことと素材の…

風呂読み

ひさしぶりに風呂に入ったらお湯が腐っている。入れっぱなしの入浴剤は悪臭に押され気味で苦しげに香った。それもしかたないことでしかない。そのことで何かに対してとくに腹は立てない。もし腹を立てなんらかの暴力を行使するなら、まっさきに自分自身がそ…

題名と描写と説明

推敲は削りまくることが中心となった。いらない場面、だれてる場面などをサクサク削ってしまうとだいぶましになる。いらないものはたいてい多すぎて、必要なものはたいてい少なすぎる。それが自然な状態だからだろう。作品というのは、自然な状態ではいけな…